心頭滅却すれば火もまたスズシ

わるあがきはじめました。

300

「ありがとう。この世界の片隅にうちを見つけてくれて。」

映画『この世界の片隅に』に出てくるこの台詞が好きだ。千と千尋みたく本名を名乗れなくなったことがとっても不憫なのでお名前を呼びますが、能年玲奈さんがとってもハマっていた。

 

大学を中退し、福岡で職を転々としていたタモリさんが東京に行くきっかけになった話が好きだ。簡単にまとめると下記の通りである。

”1972年、大学時代のジャズ仲間がコンサートスタッフとして福岡にやってきて、その友人のホテルで終電がなくなる時間ギリギリまで飲んでいた。

いざ帰ろうと部屋から出たら、やけに騒がしい一室があり、通りがかり様に半開きになっていたドアから中を覗くと室内には、同じくコンサートに同行していた有名ジャズメンバーがいて、なにやら乱痴気騒ぎをしている。そこにタモリさんは乱入する。

歌舞伎の舞を踊ったり、インチキ外国語を披露したりするうちに最初は動揺していたメンバーも呼吸困難になるほど笑ったという。始発が出る時間まで共に騒ぎ、「モリタです」とだけ名乗って帰宅した。”らしい。そこから「伝説の九州の男・森田を呼ぶ会」が発足。東京に呼び寄せる動きが始まっていく。

 

この2つに共通するのはそう。「見つけてもらう」ということ。

編集者の竹村俊助さんが先日こんなことをつぶやいていた。

”以前はSNSをやらない理由として「大物はSNSなんてやらないから」と思ってた。でも考えたら自分は大物じゃないし、タモリさんやさんまさんみたいな大物だって下積み時代は自分を見つけてもらうためにデパートの営業行ったり小さな劇場でアピールしてたんじゃないか、と思い直して発信することにした。”

ハッとした。何者でもない自分をそろそろ本格的に焦るようになってきた。

 

思えば、大学4年の4月。サークルは引退。内定が1社。

モラトリアムのラスト1年を切って、かと言って何するでもない不安。このブログを始めたのはそんな時だった。はじめはアメブロで。ポップでつながりを押し出す諸々が煩わしくなってはてなブログへ引っ越した。「心頭滅却すれば火もまたスズシ」は僕が一番好きなことわざで、「わるあがきはじめました。」という副題にはまさに当時の言い知れない不安、何者でもない焦り、動く勇気のなさ、自己顕示欲と承認欲求が見事に詰まっている。

不親切に数を追うだけのタイトルは、まる5年経って300回を迎えた。誰に頼まれずとも書いてきたこれらを、せめて好きなものだけでもまとめてあげようと思う。いつかきっと「見つけてくれてありがとう」に繋がると信じて。

 

記念すべき最初のエントリーからポエマー魂があふれ出ている。

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当時、神田川沿いに住んでいて夜の間に通り過ぎた爆弾低気圧のことを書いているらしい。当時ブログを始めたことは、お笑いサークルの同期1人にしか言ってなかった。開成から東大に落ちて浪人してさらに仮面してブンカコウソウ学部に入った彼の言っていることはさっぱり分からなかったけど、聞き入れるつもりもなかったしそれぐらいで良かった。たまに褒めてくれて嬉しかった。彼女追いかけてグンマに行って、彼女に振られて彼にはグンマだけが残った。

 

書き始めた当時は少ない分量で伝わるかどうかのぎりぎりを書くのが好きだったけど、何が正解か分からなくなってわりと早い段階でエピソードトークを繰り出している。

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広告のお仕事に内定が決まったので、キャッチコピーにも興味を持ち始めます。

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このあたりは言い知れない不安の真っ只中で、作り話を始めてます。

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爆笑問題集』って本が自分のバイブルで、太田光が文を、田中裕二が紙粘土を作るエッセイ集なのだが、そこでの太田光に憧れまくって自分でお話を書きたかったんだと思う。

 

そんな中で前を向くきっかけをくれるのは、新しく聞くいい話だったりする。これは自分でも結構好きな話。ウォルトディズニー社の副社長が大学の講義で来てくれたときのお話。

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野球から学んだことも多い。大谷翔平デビューイヤーらしい。

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ブログっぽいテーマ設定「街で見かけたヘンな人」

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かと思えばすごく意味のないことも書いていて創作話「からしとわさび」

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自分にないオモシロを持つ人が大好きで、その中の1人、小学校の同級生せっちゃんとの思い出も書いている。

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読み返してたら思い出した。僕のブログを好きだと言ってくれてるみねちゃんっていう後輩がいるんだけど、みねちゃんのバレーについて山梨2位のセッターがあいつは伸びるって言ってて、その理由はずばり「体幹が強い」から。

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時間ができたので頑張って本とか映画とかインプットをしようとしたけど、重松清読んでるって文学部の政治大好き後輩に話したら、「あんなの水ですよ、水」って言われた大学4年生。

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本屋から始まってイベントスタッフやってプールのお兄さんやって最後はパン屋さんでした僕のバイト人生。特にプールのお兄さんはお笑いサークルの伝統でフセさんが言い出した「チョロ出し」ってフレーズが忘れられない。

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100まではこんなもんにして。

101-200編、201-300編はまた今度。どこかの真夜中に。

299

「考えないは、ない。」

と、今年の目標を掲げて3ヶ月が経った。

元来考える習慣がなく脊髄反射で繰り出してきた僕にとってはなかなかハードルの高い目標ではある。けれどもそれでこそ目標、チャレンジングにいこうじゃないか。強烈な南風に吹き飛ばされそうになりながら、追い風にできたらいいなって思ったりする。

 

カイシャからの目標もまたチャレンジングである。

「あなたは今年、これとあれとそれをやってください」ってのをいただいて思ったのは、これとあれとそれをやりきった自分はこれぐらいの地点に到達していて、それはきっとこうなったらいいなっていう人生のゴールと同じそっちのベクトルで前進しているんだろうなぁと、「成長」という字を辞書で引いてみたらこう書いてあるんじゃないかなって思うけどあまりに指示語が多すぎて辞書としては無価値、むつかちい。

なりたい自分があって、なりたい自分を作り上げるためには置かれた場所でめちゃくちゃ咲くことだし、「ちょっとスンマセンここでも咲いていいですかね?自分、きれいかったり喜ばせたりしますんで」って自分の領地や、できることや、仲間と味方を増やしていくことなんだと思う。

そういう部分で桜もいいけど、たんぽぽも好きだ。童謡たんぽぽを手話付きで歌った小学3年生の思い出もそうだし、公園でデートしてたら何気なく彼女がたんぽぽの綿毛を手にして、あっフーーってするのかな可愛いなって思って眺めてたら、おもむろに手のひらで挟んで、でんでん太鼓の要領でスリスリスリってやりだして結果、全然わた毛飛んでいかなかった高校1年生の思い出もそう。原体験がちゃんとあるからたんぽぽは好きだ。一瞬で散ってく桜の美しさはそりゃかなわなくても、綿毛を飛ばして少しずつできることを増やす。冬の寒さを耐え忍び、そんなとこ咲いてたんかい。そんなとこ時間割いてたんかい。

 

その昔、就活してた時とか、並のサラリーマンの波を見ながら、「こうなりたい」より「こうなりたくない」が増えることが、大人になるってことだな。なんてかっこつけて「」つけてたりしたけど、そんなこともないな。むしろ年次を重ねることで「こうなりたい」がすこしずつ具体的になっていて、そのためのステップに仕事を使っている(まだその境地にまでは達せてないけど)。

同時に、いい加減成長なさいよ、と上司諸先輩シニアマネージャーの方々から口々に言われてハラハラ。ヘラヘラはできんぞと組織人として腹をくくるくくる。いわゆる自分の成長が会社の成長で、仕事は楽しくて、難しくて、うーん楽しくて、えーと難しくて、やっぱり楽しい。

 

最近、頭をずーっとぐるぐるさせていることをまとめとく。

きっかけはタイムラインに流れてきたこんな呟き

「25歳まで自我なかったな、ほんと。」 

中学の友人の何気ないツイートにめちゃくちゃ共感する。彼女のそれとは少し違うかもしれないけど、これやりたいな!とか、これがやっぱり好きだな!とか、こういう時ムカムカするな、みたいな自分インタビューの深掘りの結果、自分が分かってくる。与えられる側から与える側になって、そこでようやく見えてくる。僕なんて社会人1、2年目のころはあまりのできなさにゼツボウしっぱなしで、あまりのできなさに会社の同期LINEを自ら退会したこともある。お恥ずかしながら当方、多分きっとメンヘラ。百歩譲って退会自体は別にどうでもいいんだけど、そのくせ飲み会の連絡だったりは個別で確認させてもらってただの二度手間じゃんってヨシオカさんとやまちゃんには感謝している。

そんなぐちゃぐちゃな日々から学ぶことがあって例えば、人ってないものに憧れる。僕がもの作ったりネタ書いたり歌って踊れる人にめっぽう弱いのはそういうこと。アイデアマンとは実は対局だったりする自分がようやく分かって、さーて来週のあたくしは、どんな三本立てで行こうかしら。戦略なんて大げさなことではないけれど提供価値を考えることは楽しくて、ジャンケンポン!ウフフフフフーである。

 

25、26歳ぐらいを何かの記念日にしたい。人生100年時代の成人式は26歳ぐらいなのかもしれない。

指南役さんもTwitterでこう言っている。

"人間は26歳の時になりたいと思った人間に最終的になれるという。26というと、大卒なら就職して4年目。そこで初めて人生でやりたいことが見えるらしい。だから就活で「やりたいことが分からない」と焦る必要はない。とりあえずどっかへ入って3年我慢。そこから。"

 

漫才師上岡龍太郎さんもこう言っていたそうな。

"ああいうモン(自分の芽)はすぐ出るモンやなくて、何年か経った時に花がドーンと開くものですからね。いつ開くかという芽は、男は必ず26才にあると思う。
26才の時に
「何を考え」
「何を夢見て」
「何をしたい」
と思っていたか。
今までの作家にしろノーベル賞の人間などは、26才に思ったことが花開いているだけなんです。
40才になってから、新しいことなんか出来ない。
26才の頃に思ったことが40才になって、その力を得て実現出来るだけ。
26才の時に何をやりたいと思っていたかで一生が決まる。
これが「男26才原点説」

でもその時は残念ながら力もないし、自分でやる場所もない。
でも、その思いはずーっ と埋もれ火のように胸に秘めとく。
それが35か40か50かもわからんけど花開く。
それがない人は、幾つになってもダメ。

だから、それを誰にも言わんでもエエから、
自分で「そういえば俺、26才の時こんなことやりたいと思っていたな。
ああ、その割にいまは、ちょっとサボってるな。」とか「ちょっと違う方向に来てるな」と思ったら、そこへ修正していったらね、
大体…その人は自分の思う道を歩けるんじゃないんでしょうか。"

「男26歳原点説」上岡龍太郎 | のための

 

友人フルの「25歳まで自我なかったな、ほんと。」を見て思い出したのは、大手人材会社の元社長の方から聞いたこんな言葉だった。

 

「欲望がどれだけ甚だしいか。行動がどれだけ甚だしいか。」

 

ずばり、新卒採用の最終面接で何を見ているかというお話。

ご存知Will、Can、Mustの中で、CanとMustがあまりに多い世の中だからこそ、Willはものすごいエネルギーを与える。人間の脳みそは10%しか使われていないなんて話もあるし、これはガセだって話もあるけど、とにかくWillは強い。

英語をどれだけやれと言われてもやらなかった子どもが、ただ一度でも、外国人のサッカー選手と握手をする。その日の帰り道、電車に乗りながら目を輝かせて父ちゃんに言うわけだ「俺、、英語勉強するよ!」。原体験が彼を英語の勉強に掻き立てる。そんなことがよくある。どんなWillを持てるか。そしてそれがどれだけ「甚だ」か。欲望の大きさ、これはもうちょっとした1つの才能だと思う。松屋ユニクロでいいやって思ってた学生時代の僕が、自我に気付いて少しずつ欲望を膨らませている。

 

同じく、そのためにどんな行動をしてきたか。そしてそれがどれだけ「甚だ」か。

皆藤愛子さんに会いたいがあまり、「皆藤愛子 イベント」で毎日ググってたあのころが懐かしい。笑われてもいい。欲望と行動で笑われるぐらいがいい。

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こないだ、シンガーソングライターやってる仲良しのやつが、夜中に酔っぱらって電話かけてきた。「歌わせろよ!」「あたしに歌わせろよ!」って。あーはいはい、あーはいはいってあしらいながら、途中「ばかかよ!」「頭だいじょうぶかよ!」ってなじられたりもしながら、なんかすげぇかっこよかった。歌いたい!っていいな。歌わせてあげたいな。

 

自我が芽生えて、欲望に気付いて、行動する。

そんなことを考えて先日姪っ子ちゃんに会いに実家帰って、研究したり人前で話したりする仕事をしてる親父の書斎を見てこれだ!って思った。

あの親父さん、ウケたさがすごい。

欲望と行動が甚だしい人がこんな近くにいた。

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298

「生きる TERRY&DOLLY」

 

てれれれってててーれーてーれー てれれれってててーれーれー

生きてるってなあんだろ 生きてるってなあに

生きてるってなあんだろ 生きてるってなあに

ドリー(原田泰造)「ハァ」

テリー(堀内健)「ドウシタンダヨお兄ちゃん!ため息なんてついて。ジャブの練習しようよ!」

ドリー「昨日もジャブ、今日もジャブ、明日もジャブ、明後日もジャブ。マイニチマイニチ同じコトのクリカエシ。兄ちゃん生きてる気がシナインダヨ!」

テリー「兄ちゃん生きてる気がしないの?じゃアツアツオデンだよ!」

ドリー「テリーこれダイジョブ?ユゲとかデテルヨ」

テリー「ダイジョブダイジョブ~テリーをシンジテ~も少しも少し~」

ドリー「アッツイヨ!!」

 

おなじみもおなじみ、笑う犬の名作コント「生きる」をふいに思い出す年度末。

桜は咲き乱れ芽”生”えの季節、”生”意気な学”生”も増えたりしてお”生”憎様。

先週は風邪引いちゃって養”生”しなきゃって”生”姜飲んだりしたけれど、

もうだめだとまだやれるを繰り返してる。このばたばたを”生”きてる感じだと思う。

先月の将棋の羽”生”さんやスケートの羽”生”さんも感じてたのかな。

どの口が言ってんだって話だけど”生”来、”生”真面目なもんで、

”生”え抜きの4年目、なんとか弥”生”を送り出せそうな気がしてる。

 

エイギョウという仕事をしていると当然モクヒョウってのがあってカッタマケタを突きつけられる。今まで4回あったんだけど実は肺に穴あけた年以外、1,3,4年目はタッセイしていたりするの、これホントすごくないですか。何がって僕の上司、すごい。

 

そんな3月30日。

まだ実感のないカイシャの締めのパーティーの最中、母からのLINE。

 

「生まれました。産声も元気」

 

姪っ子が"生”まれた!

 

赤ちゃんができたと聞いた8月は、人生で初めてぶわぁってなってしまった。まだ8週間の生命体にすら。ぶわぁ。

「ばあちゃんの初抱っこ!」って姉が送ってくれた写真の母さん、目元超まっかっかで笑って、泣きそうになった。

「どうよ?顔とか似てたりする?」って送ってみたら「おでこの狭さは完全にわたし!」って返ってきて、いやいや、俺だっておでこ狭いからって嬉しくって、泣きそうになった。

 

 

前に、パンパースがこんなWebムービーを作ってた。

「赤ちゃんの1歳。それはママの1歳でもある。」

www.youtube.com

 

比較的アイスハートで、卒業式とか泣かないタイプだったんだけど今見たらこれちょっとやばいですあれですあれ、ぶわぁ。

気が早いなぁ、まだ生まれて18時間ぐらいだと思うんだけど、姉ちゃんママになって18時間。親父爺も母さん婆さんも、そして僕叔父さんも18時間。

どうかな?叔父感出てきたかな?

 

関係者全員が嬉しくてたまらなくなるサプライズだなんてやだなぁ誰も教えてくれなかったじゃんか。

「生」の読み方を調べてみてめちゃくちゃ多いだなんてやだなぁ誰も教えてくれなかったじゃんか。

 

生きてるってなあんだろ 生きてるってなあに

生きてるってなあんだろ 生きてるってなあに

 

今まで弟として26年やってきましたけど、これからは責任持って叔父さんも務めてまいります。

 

そうそう、親父爺、なんか年取るごとに変人になっていくんだけど、カッコつけてんのか、「俺がいるからってなにが変わるわけでもねぇ」って自分の孫が生まれるその予定日に一人旅に繰り出してるのまじでいかれてるな。旦那さんの両親は勢揃いしてたってのにな。

 

そのくせ家族のLINEで天使とか言い出すの、超かわいいな。

 

来週叔父さんが会いに行くからね。

親父爺に照れてんじゃないよ!って叱ってやろうと思います。

297

「世界の名言集」を読み漁るマセガキが、中・高・大学と加速度的にオモシロい人たちのオモシロい言葉に触れ、こうなりました。今後は社会にて仕上げていきたく思います。選んで頂いた企業様、および両親に感謝します。


これ、学生時代に運良く受賞したとある広告賞での、僕の受賞コメント数えたら4年も昔。何を今さら、過去の栄光に浸りたいってわけじゃなくって、当時の自分のコメントが的を射まくっていることに気づく5年目を迎える春。え?的を得る?射るじゃない?とまぁ、このくだりがまったく的を射てないわけで。え?得る?射るじゃない?

いいよ続ける。

 

人生エピソードトーク

分け入っても分け入っても青い山。ほじくってもほじくっても昔は昔。自分自身の中から生まれる新しさに新しさはそんなになくて、だったら経験するしかない。それはやっぱり人に会ったりどこかに行ったり何かを味わったりすることだと心得ている。もっと言うとこのWeb時代、更新を意味する「2.0」がほうぼうで聞こえてくる。アップデートや学び直しが求められる今、冒頭の自分のコメントは、ほどよく元々の自分を諦めた上で、戦い方を考えなさいよと教えてる。

僕個人のおもしろさで戦ったら一撃で負けるってわかっている分、面白い人たちに会いまくって、いい話を仕入れ続けて、少しでも提供価値を増やしていけたらと思う5年目を迎える春。

 

てなわけで行ってきましたまいど大阪!おおきに春分、ありがとう文春。この時期、ガクセイのうちしか旅行いけねぇって1ヶ月に3カ国詰め込んだ4年前の僕に言ってあげたい言葉は、いやいや案外行けちゃうよ、である。

なんてツイてるんだ!って言い続けてると本当に運勢が回ってく不思議。平日休みの友人と大阪勤めの友人にいっぺんに会えるなんてなんてツイてるんだ!2年前、肺に穴を開け即入院したその同じ日とは思えない春分の日に感謝感激春一番

 

仕事終わりに東京駅に向かう。スマホを泉に落っことさないよう気をつけて、トイレで着替えを済ます。スーさんが待っている。スーさんってのはたまにしか呼ばないあだ名。そりゃそうさこの時代、ブログに実名書くわけにはいかないもんねっ、鈴木くん。

ちょっとした憧れ、駅弁とビール、気分は学生自由席。平日休みのスーさんと泊まりの旅行なんてスーパー嬉しくて、ガラにもなく今好きな人の話とかしながら通り過ぎる静岡名古屋。はいできました。新幹線とかけまして、ポコチンととく。その心はどちらもエキを飛ばします。

えっ?気心知れた関係はいくらでもすべっていいってルールでしたよね?一旦止まって京都駅に確認する。

 

23時にたどり着く新大阪1年ぶり4回目。

右側が埋まるエスカレーターにワクワクしちゃう。身の回りにいる男前ランキングで上位に食い込むクールな顔したスーさんですらゴキゲンなのかドリカム大阪LOVERを鼻歌ってる。「何度ふふふふふふっふー」って歌詞知らんのかいこいつまじ。「めっちゃすっきゃねん」って最後関ジャニで終わるんかいこいつまじ。

イケメンってのはこれで許されるからすごい。おにぎり食べてて目が合っただけで「ちょwラマみたいwwこっち向かんでくれんwww」って同級生女子から言われたことある僕とは大違いだ。

 

荷物置いて繰り出す繁華街。旅の恥はかきすて。冒頭のコメントじゃないけど面白い人を引き寄せる才能があるらしい。飲み屋でたまたま隣にいたシノさん(24歳会社員)は、聞けばお父さんが東北で彫刻家やってるらしく、家業を継いでくれるお婿さんを絶賛募集中。なにその独特な婚活条件の設定。「なんで東北から関西に来たの?」「だって関西弁かっこよくないですか?」「ほう?」「関西人みたいに自己主張できる人に憧れて、それで配属選ぶ時に大阪に〇を付けました」「ほう?東京にもいるよ自己主張できる人」「東京は都会だから怖い」「ほう?」

少し話して悩み相談みたいになって、グータラをどうかしたいと話すシノさん。曰く「2周目が来ちゃうんです」とのこと。例えばハサミを出して使う。あー片付けなきゃと思いながらもグータラゆえ片付けることができず数日放置。そうこうしてるうちにまたハサミが必要なタイミングが来ちゃうとのこと。「つまり物は片付けない方がいいんですよ」と一番やっちゃいけない答えを彼女が出したところで僕らはお会計をしたんだっけ。もう会わなくても言っちゃう「またね」。「東京のイメージが変わりました!」って最後に言われて嬉しくなるけど僕熊本人。いい跡継ぎが見つかりますようにって願いながらスーさんと歩いて帰るホテルまでの道、雨男。

 

ホテルで死んだように眠る。生まれたように起きる。ねっむぅ。しかも雨さっむぅ。

夜から合流する予定の友人ともひろ以外ノープランで、とりあえず繰り出す道頓堀。たこ焼き屋はスーさんオススメのあっちち本舗食べる。フワトロあつあつタコタコでこれがまぁうまい。それでは聞いてくださいあっちち HAPPY DAY。

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なんでしょう、この耳残りのよさ。今後もし大阪の曲と言えば?と問われたらドリカム大阪LOVERでも関ジャニでもなくあっちち本舗と答えようと思う。

 

食いだおれ君もグリコ君も写真撮るときスーさんが全部右手で押さえやがって隠れちゃってるのくだらない。腹ごしらえは串カツ屋さんへ。ここでも引き寄せちゃう変な才能、接客してくれた外国人(ベトナムとかそのへん)の女の子は「ハジメテナンデス」ってバイト初日が祝日の今日?ゆっくりでいいよ、ゆっくりでいいよって優しくしてみたらゆっくり押し間違えちゃった。スピードメニューナスの浅漬けのはずが、時間かかった上に衣ついたナスが串に刺さって出てきてわらう。なに無問題、昼間っからビール飲んで串カツ食べて幸せとはこういうことじゃないか。もうちょっと酔っぱらおうかって黒霧のお湯割り頼んだら、水割りが出てきて寒くて一気に酔いがさめるわらう。

 

通天閣に行きたいって駄々こねて、途中通った新世界は東京で言うと秋葉原っぽくておたく風の方々も多かったんだけど、すれ違う大学生ぐらいのオタク二人組が「へーそれは生きる価値のないフレンズだね〜」って言ってたの今すごく気になっている。

通天閣では観光地あるある、エロすぎるガチャガチャがあって500円。ちょっとやってみてよと言われたらやっちゃうタイプ。「なんと私見つけちゃいましたよ!」なんてスーさんのカメラでユーチューバーごっこ始めたらゾクゾク中高生が集まってきちゃってさぁ大変。出てきたパンティーを被ってなんとかスベり倒すことは避けたけど、あぁパンティー被る向きが逆だったなとか、顔引きつってんなとか反省反省。

 

写真撮ってくれて気に入ったら買うシステムの通天閣の写真コーナー。

「はい、つう、てん(パシャ)、かく認しまーす。」とか「上手にとれタワー!」とかおっちゃんたちはのせるのが本当に上手で、パンティー被る向きが逆だったことを反省している自分がちっぽけに思えてきた。僕にもう少しユーモアをと願う、ビリケンさんの足の裏。

 

天王寺動物園は横目で通り過ぎるだけ。2人ともそろそろトイレに行きたくなったのでいざ、あべのハルカス!目的はきれいなトイレ、それだけ。ばちあたりかもしれませんが、優雅な時間を過ごさせていただきました。ふー。

ふーっと気合を入れて歩いてみる飛田新地。4週目に入ったら冷やかしだと思われて怖いお兄さんたちに連れていかれるゾなんて噂を聞いていたけど、真剣に選んでいる人たちは何周もしていて、もっと言うと車をすごいゆっくり運転して見定めている人もいた。うわ、あの子芸能人みたい!とかうわー妖怪みたいだったな今のとか異世界を味わってお腹いっぱい。最後のご飯へ向かう。

 

僕、スーさん、大阪勤めほぼ卒業以来のともひろに加えて、かけつけてくれたサークルの先輩まさるサン。このまさるサン、名字が花田だからお前はまさるだって理不尽極まりないあだ名を付けられても笑って許してる心優しい先輩もしくはバカ。そういや僕らもマツモトカズナリっていう後輩に嵐って名づけてたし、あるあるなのかもしれない。

千房のお好み焼きがおいしいのはもちろんのこと、あれ俺こんな顔してたっけってぐらい笑い過ぎてて、楽しい時間は過ぎるのが早いし、顔面が溶けちゃうね。まさるサンは聞いてもいないのに「俺は飛田に3回行った」と素人っぷりをアピールしてきた。彼が一番楽しそうだった。頼んでもないのに僕ら用に忖度まんじゅうをお土産に買ってくれた。「いい人。贅沢していい人。」っていう缶コーヒーのコピーを思い出した。

 

10月、ともひろの結婚式でまた会えたらいいね。今度こそ来られなかったジュンさんも一緒にさ。ゆうやの娘にも会っておかなくっちゃな。あいつに似たらブスになっちゃうな。いや、奥さんに似てもブスだろ。うわ最低www

会いたい人があちこちにいる。

いつ会っても楽しそうな自分でいたいと思う。

 

この時期。会う人会う人に「よい春を。」って言うようにしてる。

それは夏、秋、冬じゃやっぱり違くて、旅立ったり環境が変わったりする春だからこそ成立すると思ってて。

スーさんも、結婚するともひろも、素人童貞を極めるまさるサンも。グータラな飲み屋のシノさんも、串カツ屋初日のあの外国人も。もちろん僕もまた。

どうぞそれぞれに、よい春を。

296

「すべてのシーンは、未来につづいてる。」

 

ドラえもん のび太太陽王伝説』のコロコロコミック限定版ポスターは、歴代のドラ映画のモザイク絵になっていて、こんな一言が書かれている。実家の自分の部屋、机の横に貼り付けたお気に入りのポスターのワンフレーズに今、共感する。

余談だけど、僕は一貫してコロコロボーイだった。コロコロコミックの戦略のブレなさってすごくってズバリ「異性に興味が出てきたやつは去れ」である。お色気とかキュンキュンではなく徹底して小学生男子がバカ笑いできて胸が熱くなるそんなコンテンツ。小学校6年間読み続けた。宇宙人田中太郎の最終回は少しいい話風だったし、なんで桑田とピッピはあんな最低なキャラなのか分からなかったし、ドラベースは毎月の連載を律儀に切り取ってぼろっぼろのマイ単行本を作ったりしてた。おかげでやりもしないのにデュエル・マスターズキラカードは30枚近く溜まって、今じゃホコリがたまって、価格相場を見ながらにやけるメルカリ。負けるなコロコロ!勝てないよでんぢゃらすじーさん

 

冒頭のドラのポスター。実はこれ、僕の記念すべきインスタの1枚目。どうしてなかなかイイデビューじゃないか。いいね0でもいいねいいよね?

個人的にどうしても映えだけは使いたくなくって「寄り」とか「側」とか「っぽい」とかどうかなって思ってる。お前インスタ寄りだなー!まぁ俺インスタ側だしな。ちょっと待って今のインスタっぽくない!?「っぽい」は思ったより普通、っぽい。

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最近思う。ドラのコピーはこうとも言える。

 

すべての「あの頃」は、未来につづいてる。

 

この時期思い出すのはやっぱり受験、2010年の3月4月。

芸人になるなら早稲田ぐらい出なさいってぶっ飛んだ先生に言われて早稲田ぐらい出るかなって意識して、受験期1週間の東京滞在。 歴史の時間はこれでもかってぐらい寝てたから、なに1つ覚えてない日本史せぐっちゃんごめんなさい。こんだけ文系人間なのに文系学部は実は早々に諦めた。

日本史の時間に学ぶ人体の不思議、腕組むと寝ちゃうんよねってアホなお悩み相談する僕に、大津の神童シノくんが「あれつたい、騙されたと思って腕ぶら下げてみ、まじ目さめるけん!?」ってこれまたアホなアドバイス。おかげでペンも持たずメモすら取れなかった。騙された。

実は数学受験をしたのだが、家庭教師ヨシダ先生は僕の人生の恩師の1人。ダーワセの人間科と社会科と商学を受けた。初日の人間科が終わった後、僕は案の定ペイチャンネルの誘惑に負けてしまって、その後の試験はまぁひどかった。知らんがなだと思うけど一応国立も受けるかって埼玉大も受けた。なんでかって教養学部ってのがあって、その頃のなりたい大人が教養がある人、強要しない人だったからという、この辺りからサーフェス人間の本領発揮。

 

なんせ東京を1週間堪能する。馬場のサンルートから聖蹟桜ヶ丘のいとこ、ケン君ち。その後前橋のおばちゃんち、最後池袋のザビーホテルを転々とてんてんてん。ケン君との思い出はこっちにまとめてたりする。

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時はバンクーバー五輪真っ只中。「真央ちゃんが頑張ってるから私もがんばる!」って当時お付き合いしてた女の子の健気さと、18歳の自分の胸のざわつきと不安を今でもたまに思い出してチクリとする。

 

それでも春はいきなりやってくる。気づいた時が春なのです。

受かったのは人間科。ペイチャンネルに手を出す前の受験で、上京のはずが所沢。それでいてさらに補欠合格ときたもんだから8年前のこの時期はバッタバタバッタトンボカミキリムシ、3月15日に補欠合格の知らせが来て22日に家探しに来て29日に一人暮らし始めるみたいな感じ。そりゃ親のありがたみも後から気づくってもんだ。

 

小手指の北口、スリーエフの方って言っても駅から徒歩13分のスリーエフなんざ誰も使わない。畑に囲まれて学生生活が始まった。

現役?浪人?じゃなく「君何浪?」って聞かれた時は素直に凹んだり。初めて一人で食う駅前のなか卯は頼んでないのにつゆだくだったり。スポーツ科と共にするキャンパスには180を超えた女性アスリートが両脇にバスケボールを抱えていたり。

待望のお笑いやりたいなって探しても、トコロザワにはお笑いサークルはない。仕方なく本キャンで彷徨うサークル探し。当時、早稲田にはお笑いサークルが3つあった。

50年近く続く老舗お笑いサークルがあって、そこから独立したインカレワイワイマンモスお笑いサークルがあって、さらにそこから独立した少人数のお笑いサークルがあった。ここだけの話、マンモスお笑いサークルの幹事長は今ひょっこりはんとして大活躍されている。当時は普通に漫才してて、普通にすごく面白かった。

一方老舗お笑いサークルの方は花見に行ってみたらトドみたいな女の先輩がいてずーっとパンツが見えてて「見る?」って言われて一気に帰りたくなった。しゃくれてた幹事長が優しかった。

 

お笑いやりたがってた割に最初に入部したのはバレーボールサークル。なんでかってシンプルで、本キャンのサークル入ると所沢キャンパスに友達ができないどころか、ゼミが始まる3年まで本当に居場所がないからだ。トトロのモデルになったとされる狭山の山の中、閉鎖社会の辛いところである。

4月1日、入学式に向かう道で声かけた大学最初の友人が聞けば山梨2位のセッターで、あれよあれよとバレーボールサークルの門を叩いてた。こう言う時は乗っかるに限る。不思議なご縁、家庭教師ヨシダ先生の弟もなんとそのバレーサークルにいて、一緒に持ってきたグローブ達が多少寂しい顔をしても、所沢に居場所をくれたバレーサークルの皆さんに感謝感謝。あと大学最初の友人にも。つい今週娘さんが産まれたというから、こういう時は乗っかるに限る。僕も娘にはリンカちゃんと名付けようと思う。

 

トコロザワに居場所ができた僕は真剣に2つのお笑いサークルで揺れ動いてて、決め手になったのはなんてこたない飲み会のクソみたいな話だったりする。それは老舗お笑いサークルの飲み会で、楽しすぎてトド女先輩のパンツのトラウマはすぐに忘れた。

「ホシカワって変な名前だな」

「(失礼だなぁ)はい、珍しいですよね」

「こいつも名前ムゲンって言うんだぜ」

「(うわ変だな)まじすか」

「いやお前も変なイトウだろ」

「そうなんだよ俺イトウってんだけどさ、イトウのイの字は依なんだよね」

「(うわ変だな)まじすか」

「で、こいつニレイ」

「ニレの木って知ってる!?」

「(知るワケねぇだろ)いえ知りません」

みたいなテーブルに変な名前が4人集まっててその1つ1つにげらげら笑っちゃった。

「おーおつかれ」

「あ、お疲れ様です!」って入ってきた先輩がキムラさんっていうめっちゃ普通の名前で、童貞で、この人がとんでもなく面白い人で僕はヨセケンに入部を決めたんだった。

木村さんはエピソードがすさまじくて、童貞のまま大手広告代理店入ったけど辞めて落語家になって、ネーミングライツヤフオクに出したら地下アイドルに買われて、一時期名前が立川仮面女子っていうアイドル名になってた立川談志のひ孫弟子のお方なのだ。

落語家「立川仮面女子」が街頭ビジョンで改名発表

 

あと又聞きで恐縮なんだけど、木村さん、親に冗談で「あんた早く彼女作りなさいよ!笑」って言われて「ごめん、俺色盲だから運命の赤い糸が見えねぇんだ」って言って、ウケると思ったらそのまま親が「ごめんね、、、、!」って泣き崩れた話とか、超好き。何度聞いても笑っちゃう。

とにもかくにも面白い人たちがいっぱいいた。「野球なんて木の棒振り回して炎天下の中走ってあんなのはバカがやるスポーツ」みたいな説を大声で唱える先輩、ムゲンさんがいて、これまで野球しかしてこなかった僕からしたらむかつくんだけど目からうろこ。そんなカルチャーショックが毎日起きて飽きなかった。僕含めクズしかいなかった。

新歓で「見てみ、全員ちょっとずつ変な顔してるでしょ」なんて1年生に紹介するサークルはきっとそうそう他にない。サークルで一番まともなやつが社会に出たらだいたいちょっとポンコツ、ってのは今の僕がまんまそうで、ミスしてお叱りをいただきながらたまに脳みそが少し笑ってる。

 

そうそう。

2月のこのブログはたかだか500PVとかで、そんなちっぽけなブログを続けている理由もお笑いサークルにある。代はかぶっていないんだけど、とある先輩がずっと綴っていらっしゃったブログを学生時代からひっそり読んでいた。就活の失敗とか社会人の鬱屈とか、それでも消えないお笑いへのストイックな情熱とかめちゃくちゃかっこよかった。お笑い、野球、音楽など少なからず影響を受けたと思う。一回だけブログにコメントをしたことがあって、その返事で「俺は4年目くらいから状況が徐々に良くなったので、まだ時間もあるし若いから、自分の武器を磨いてください!」って仰っていただいて、今まさに4年目。相変わらず弱点ばっか目に付くけど、なんか書いてたいっていうのはもう、ちょっとした武器だと思って、くだらなくてもサーフェスでも書こうと思う。舟橋さんっていう先輩のおはなし。

www.creativevillage.ne.jp

 

すべての「あの頃」は、未来につづいてる。

 

「あー、レ点ね!」なんて国語の時間のエピソードトークをみんなで語り合って共感を得られたら単位をもらえるという一風変わった講義その名も「国語という授業を考える」。この講義をたまたま一緒に取っていたすらっとした見た目も言葉遣いも麗しい女の子は、地下アイドルからグループに所属して脱退して、この時代に珍しくソロアイドルになって、そこからとんでもない努力を重ね、しかもそれを全く見せない表情で今も前線でアイドルを続けていて、寺嶋ゆっふぃーも早稲田の尊敬する人の一人である。

www.youtube.com


すべての「あの頃」は、未来につづいてる。

お世話になった先輩が結婚したり、親友の子どもが生まれたり、知ってる人がまたいい仕事をしていたり。

この時期の不安をいつもふっとばしてくれる「あのころ」がある。

地続きの未来が、少し嬉しい。

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えー、

続いての曲は、友達に誘われて下北沢のライブハウスでいろんなバンドマンたちの演奏を見てた時にふつふつと沸いてきた感情を歌にしたものです。もし例えばですよこの空間このライブハウスに自分の好きな人がいたとして、その子が憧れの眼差しでステージの上のほかのバンドマンを見ていたとしたら、って考えてたらそれだけでどえらい悔しくなってやりきれなくなって逃げたくなるんですよ僕はね、そうなっちゃうわけですよ、それであの聞いてください。

 

「バンドマンよりこっちのがいいよ」

 

Aメロ

長髪は無理だぜ、天然パーマって知ってる?あれなのよ、どうも髪まっすぐ伸びねぇのよ。

入れ墨は無理だぜ、街のお風呂屋さんに行けなくなっちゃう。教員やってる親泣いちゃう。

Bメロ

中指立てるなよベロ出すなよ何かやなことあったのかよ話なら聞くよ。

サビ

僕はバンドマンになれない。

僕はバンドマンになれない。

スポットライト、6弦のギター、来世はどうかお手柔らかに

僕はバンドマンになれない。

僕はバンドマンになれない。

バンドマンよりこっちのがいいよ

カエルの歌でも輪唱しよう

 

間奏(12秒)

 

Aメロ

タバコは無理だぜ、肺が弱くてさ喘息持ち。右に2回穴開けてハイ気胸。あとダメ喉も弱め

ピアスは無理だぜ、ここまで似合わないと予想されるお洒落も珍しい。穴なら肺だけで十分さ

Bメロ

中指立てるなよベロ出すなよやめときなよ人をなんだと思ってるんだよこっち来て座りなよ

サビ

僕はバンドマンになれない。

僕はバンドマンになれない。

大きい声は出したいぜ。伝えたいメッセージは特にないぜ。

僕はバンドマンになれない。

僕はバンドマンになれない。

バンドマンよりこっちのがいいよ

SUKIYAKIソングを一緒に歌おう。

 

間奏(26秒)

 

Cメロ

そりゃ欲言うとTシャツとぴっちりしたジーンズ

はだしの舞台、27で死ぬことに憧れて、

酒とたばことドラッグとセックスを友だちに、シモキタを我が物顔で歩きたい

けど~け〜ど~

サビ

僕はバンドマンになれない。

僕はバンドマンになれない。

けどバンドマンじゃなきゃ歌っちゃダメって誰が決めたんだい

僕はバンドマンになれない。

僕はバンドマンになれない。

バンドマンよりこっちのがいいよ

カタブツに見えるけど熱い男だよ

 

僕はバンドマンになりたい

僕はバンドマンになりたい

すれ違う人がビビるぐらい今、鼻歌大きくなってる

実はバンドマンになりたい

君のバンドマンになりたい

バンドマンもいいけどこっちもいいよ

何卒ご検討ください

ウォウウォウ〜ウォウウォウ〜

 

 

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グラビアアイドルという職業を全面的にリスペクトしてる。

 

水着着て写真撮られて、僕だったら笑われることはあっても感動させたり勇気与えたり青少年を興奮させたりはできないしな。

で本日、清水みさとさん「あの頃グラビアアイドルだった私と」展行ってきました表参道。とんでもないスタイルの良さでDVDバカ売れしてた清水みさとさんは今、舞台女優らしいです。で、引退した後に最後もう一度感謝を伝えたいってファン呼んで撮影会やってそのファンが撮った写真が展示されてたわけですよ。それが「あの頃グラビアアイドルだった私と」ってわけだ。

 

中には正々堂々えろえろしく撮るファンもいればさ、あえて足首だけ撮ってるやつとかさ、もうファンが本気なわけ。僕は写真はやらないからよく分かんないけど好きな人にカメラ向けて写真を撮る、しかもそれが最後って分かってて撮るその気持ち想像したらすげえ感動しちゃったわけです。


知らないと思うけど「撮るという、アイラブユー。」とか「キミが好きだと言うかわりに、シャッターを押した。」とか「ただ一度のものが、僕は好きだ。」とかカメラのキャッチコピーって名作揃いなんですけど、まさにそれ。水着の女の子撮るなんてどこ見ていいか分かんないぐらい素面じゃやってられないと思うけど、好きな子だったら本気で撮るもんな目を背けずに。そこには言葉で伝えられないほどの好きがあると察する。


調べたら清水みさとさん、同じ年次で大学を卒業されててそれもまた感情移入ポイント。スタイルが良くて可愛い同級生が水着一枚で全国規模で勝負してる。リスペクトしかないとはそういう理由だ。

グラビアアイドルであり続けることの気苦労とかを勝手に察して、奇跡みたいな身体を僕らは拝ませてもらっていたわけで、今日はご本人もいらっしゃったから本当はそういうありがとうを直接伝えたかったんだけど、結局逃げるように目を逸らしながら泳がせながら出ちゃった。

 

いくらカッコつけていてもこちら側に並んだ時点でファンになると分かっていても僕は正しいファンの振る舞い方を忘れちゃう。グラビアの難しいところで、好きだけど好きって言うとえっちい奴というポジションになっちゃう。あ、いや、まぁ、えっちい奴に間違いはないんだけど。

あぁあ、僕も写真が撮れれば。

 

ただ存在するだけで奇跡みたいな人たちとか、表舞台に立って勝負してる方々に対してのありがとうと応援してますと好きですを、絵が描けるなら素敵な絵を、写真が撮れるなら素敵な写真を、曲が作れるなら素敵な曲を贈ったりして届けられればいいんだけどだめね難しいから言葉で伝えていくしかないってこうしてメモすることにします。

 

清水みさとさんありがとうございました。

今日はもうあなたの美貌とファンの愛を繋いだ企画の勝利だと思います。

愛しかない今日の空間を僕は多分ずっと勝手に覚えてると思います。

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